『その布は、まだ“息をしていた”──一反木綿・異譚』
一反木綿──それは恐怖か、優しさか。
鹿児島に伝わるその白い布の怪異に、私はある夜、ふと包まれてしまった。
これは、記憶とぬくもりのあいだに漂う、ある“夜の気配”の話。
白い布が、ひらひらと舞う──。
それはただの風かもしれないし、
目の錯覚かもしれない。
けれど、もしその布が、あなたの首元にふと触れたなら……
その瞬間、あなたのなかの“何か”が思い出されるかもしれません。
一反木綿──それは恐れと記憶のあいだにいるもの
鹿児島・肝属地方に伝わる妖怪「一反木綿」。
およそ一反(約10メートル)の木綿が、夕暮れ時に空を飛び、人に巻きついて襲うという伝承があります。
顔を覆い、首に絡み、窒息させてしまうという恐ろしい語られ方もされてきました。
実際、夜道で布のようなものに巻きつかれたという逸話も残されており、
脇差で切りつけたところ、布は消え、手には血が残った……という記録もあります。
それは“ただの布”ではない、何かだったのかもしれません。
なぜ布が「恐れ」として現れたのか
民俗学的には、子どもを戒めるための言い伝えともされます。
遅くまで遊ぶと「一反木綿が来るよ」と。
また、かつて土葬の際に白い木綿の旗を立てて弔った風習とも重なります。
その旗が風に舞い、夕暮れの空を流れていく……
それを誰かが「何かが飛んでいる」と語り始めた。
そこには、見送られた魂と、忘れられた記憶が重なる余地があるようにも思うのです。
一反木綿に包まれて思い出した“布の記憶”
わたし自身、今思えば不思議な経験をしてきました。
ある晩、帰り道で、白いものが視界の端をかすめ──
次の瞬間、ふわりと布のようなものが首に触れたのです。
それは恐怖よりも“ぬくもり”に近く、
わたしのなかの懐かしい記憶を次々に呼び起こしました。
祖母のふろしき。
遠足のときに包んでくれたお弁当。
洗濯物を干すときに風に舞っていた白い手ぬぐい。
夜中にふと目覚めたとき、そっと掛けられた布団の重み。
布とは、何かを包み、守り、そっと寄り添うもの。
──その夜、布の中に包まれていたのは、恐怖ではなく、
思い出せなかった「誰かのやさしさ」だったのかもしれません。
夜に揺れる、布の気配
近年も各地で目撃される「空を飛ぶ布のようなもの」。
六甲山の上空を飛ぶ30メートルの布、
高円寺で犬の散歩中に目撃された白い影、
新幹線と併走するように滑空する白い布。
それらが何だったのかはわかりません。
けれど、もしかしたら──
誰かの記憶、誰かの祈り、誰かが忘れた何かが、
いまも風に乗って漂っているのかもしれませんね。

後ろ姿の人物の上を、ひらりと舞う白い布。
それは風か、それとも記憶の気配か──静かな夜の空に浮かぶ、もうひとつの存在。
スピラブの灯──“布”に宿るもの
一反木綿という存在が、恐怖や戒めとして語られたとしても、
そこに込められた“祈りの断片”を見つけていくことも、わたしたちにできるのかもしれません。
それは、誰かを想う心。
それは、忘れられたけれど確かにあった手ざわり。
布は、包むもの。
そして、包まれることで思い出される“感情”があるのだと、
静かに語ってくれているようにも感じました。
──いま、あなたのそばにある布の、その端を見つめてみてください。
そこに“誰か”の気配を感じたなら、
それは恐怖ではなく、“記憶のやさしさ”かもしれませんね。