「また運が悪い…」と感じたときに|出来事と心の揺らぎ
わたしは普段、葬儀に関わる仕事をしています。
お客様にとって大切な「区切り」の場に立ち会う仕事なので、どんな方に対しても、常に真摯であろうと努めています。
けれど同時に、わたしが勤めているのは営利企業でもあり── 売上や数字という現実から目を背けるわけにもいきません。
だからこそ、売上が思うように上がらなかったり、何かうまくいかないことが続いたりすると、 つい「今日は運が悪かったな…」と感じてしまう自分がいます。
もちろん、どんなお客様も大切で、「運が良い」「悪い」と区別するようなことは、本来すべきではない。
でも現場に身を置くほどに、そうした感情の揺れやすさもまた、自分の中に確かにあると感じるのです。
そんなとき、ふと思うのです。 「本当にこれは“運”なのだろうか?」
運の正体は“脳のフィルター”?|脳科学と意味づけの話
最近、脳科学の視点から「運」に関する研究が注目されています。
人は“たまたま起こった出来事”に対して、「運が良い」「運が悪い」と意味づけをしてしまう傾向があるのだそうです。
つまり出来事は「中立」であり、「運が良い」「運が悪い」と決めるのはその出来事に関係した人自身であると。
たとえば、道に迷ったときに── – 「最悪だ」と思えば“運が悪い出来事”に。 – 「この道を通らなければ見られなかった景色だ」と思えば“運のよい出来事”になる。
同じ出来事でも、脳のフィルター(RAS)やセルフイメージの影響で、出来事に対する「自分が持つ“運の色合い”」が変わってくるらしいのです。 —
スピリチュアルな視点から見た「運」|出来事の中立性と魂の学び
スピラブで出会ってきた多くの魂たちの声を聴いて、あらためて感じるのは── 出来事に意味を与えているのは、わたしたち自身だということ。
魂の視点から見れば、「良い」「悪い」は本来存在しません。
あるのは、その出来事をどう受け取り、どう祈りや学びに変えていくかだけ。
わかってはいますが…でも…だからといって、いつもそのように上手に受け止められるわけではないのが、わたしの正直なところです。
引きずる感情と寄り添うということ|私自身の不完全さ
わたしはよく、「あの時の失敗を引きずってしまう」「もっと上手くできたはずだ」「あのときこう言っていれば購入してくれたかな」と自分を責めてしまいます。
だけど、その“引きずってしまう感情”もまた、魂の大切な学びの一部だと感じています。
自分を責めるのではなく、自分のゆらぎと寄り添ってあげること。そして魂の成長につなげること。
それが、スピリチュアルな癒しの本質なのかもしれませんね。
不運の中に宿る“静かな導き”|日常の中の気づきと癒し
不運だと感じた日にも、
– 誰かのやさしさに気づけたり、
– ほんの小さな空の色に救われたり、
– 立ち止まることで守られていたり、
そんな“静かな導き”が、いつもそばにあったと後から気づくことがあります。
だからこそ、 「これはただの出来事で、わたしがどう意味づけるかを選べる」──そう思えるようになることが、「運を味方につける」本当の意味かもしれません。
「見えない導き」に触れるということ|守護霊似顔絵とのつながり
わたしが守護霊似顔絵を描くとき、 その方の魂の奥に静かに灯る光に、そっと耳を澄ませます。
「どうして自分ばかりこんな目に…」と感じるとき── 実は、そんな時こそ、守護の存在はとても近くにいるのかもしれません。
守護霊似顔絵は、“運”という言葉の奥にある祈りを、目に見えるかたちにするためのもの。
たとえ出来事が変えられなくても、 それをどう見つめ直すかは、わたしたちの魂が選び取ることができる。
「守られていたんだ」と感じるその瞬間に、 わたしは目の前の出来事を魂の学びの機会として捉えることができるのではないでしょうか?
もし、あなたの魂の奥にある“見えない導き”に耳を澄ませてみたいと思ったなら── 守護霊似顔絵やスピリチュアルアートの世界が、その静かな一歩を照らしてくれるかもしれません。

年配の女性が守護霊の似顔絵を手にし、光に包まれた守護霊の存在に安心感を得ている様子
意味づけは選べる
もし今、何か「うまくいかない」と感じていることがあったとしても…
それはあなたに「見方を変えてみませんか?」と語りかけている出来事かもしれません。
あなたは、今日起こったことにどんな意味を与えたいですか?